なぜ他者に頼みごとをするのが気まずくなるのか?億劫になるのか?

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人間関係と何かを頼むこと

人の悩みの大半は人間関係に由来すると言われています。わずらわしく、多くの問題を引き起こすのが人間関係なのですが、逆に人生を楽しく豊かにしてくれるのも人間関係とも言われます。特に社会に出ると今まで何となくいたコミュニティーとは違う空間になります。また出会う人々も学校などのコミュニティーとは違う入れ替わりなども頻繁にあります。上司も代わり、先方の担当も変わるというのは頻繁に起こります。

仕事柄で内勤が多く、そんなに人と会わないと言っても、どのような職種、立場でも人間関係の悩みはあります。新入社員には新入社員なりの悩み、管理職や経営者にも立場なりの悩みが起きてきます。年齢のギャップからや起業風土のち外から全く予期していないレスポンスが返ってきたりなど様々です。

そのような中で、学校のように簡単に物事が頼めない状況が多く出てきます。自分の中で困ったら誰かが助けてくれるという安易な解決策はなく、分からない時は自分で解決するか、他人に教えてもらわなければなりません。しかしながら社会に出れば何故か簡単に何かを頼むのがぎこちなく、気まずく感じてしまいます。

ハイディ・グラント (著), 児島修 (翻訳)
出版社 : 徳間書店、出典:出版社HP

頼み事と気まずさ

ほんの些細な頼み事をするのを想像するだけで、人はひどく不快な気持ちになるという研究が多数あります。(“Why didn’t you just ask?” Underestimating the discomfort of help-seeking by Vanessa K. Bohns, F.J. Flynn. 2010)

現代の職場では共同作業やサポートが不可欠です。新入社員であれ幹部であれ、誰かの助けがなければ仕事は成し遂げられません。企業では部門横断型になるに連れ、私たちは以前より多くの共同作業が必要になり、日常的に誰かに助けを求めなくてはならなくなっています。このように頼み事をする機会が増えるにつれ、小さな苦痛を味わう場面も増えているのです。

誰かに助けを求めるのを嫌がっているのですが、必要なサポートやリソースを得たい。加えて、こうすれば人は自分を助けてくれるはずだ。と直感的に考えていることは、たいてい大きく間違っています。ぎこちなく、申し訳なさそうに頼み事をすると、相手の「助けよう。という気持ちは薄れてしまいます。相手に何かを強いることを嫌います。そのことが、意図せずに相手に何かを強いることになってしまうのです。

貸しを作ってしまうという観念

なぜ自分を助けてくれた人に、良いことをしたという気分を味わわせることができないのでしょうか?その理由の一つは、私たちが頼み事をする際、相手に貸しをつくったような気分になるからだと考えられます。貴重な時間と労力を自分のために使ってほしいと頼むとき、それによって相手が良い気分になるとは考えにくくなるからです。

人は他者に何かを頼むとき、無意識にそのことで自分のステータスが下がると感じやすくなります。それが自分の知識や能力の不足を意味し得るものである場合には、馬鹿にされたり軽蔑されたりするかもしれないという不安を覚えるからです。相手がこちらのリクエストにどう応えてくれるかがわからないので、確実性の感覚も下がります。また、相手の反応を受け入れなくてはならないので、自律性の感覚も低下します。相手に「ノー」と言われたとき、個人的に拒絶されたように感じることがあるため、関連性への脅威も生じます。そしてもちろん「ノー」と言われたときに、相手との関係に特別な公平性を感じることはめったにありません。

誰かに助けを求めるのは難しいく感じてしまい、不器用でぎこちない、遠慮がちな頼み方は裏目に出やすくなります。つまり助けを求めることに消極的だと、必要な支援を得られなくなる。

うまく人の力を借りるには、相手に「助けよう」という動機を持たせるための小さな合図である「人を動かすカ」(レインフォースメント)を理解する必要がある。これを実践できると、周りから助けてもらいやすくなります。

 

【参照】人に頼む技術 コロンビア大学の嫌な顔されずに人を動かす科学

ハイディ・グラント (著), 児島修 (翻訳)
出版社 : 徳間書店、出典:出版社HP